世の中の大抵の事は大したことない

なまけものが書きます

天才と才能とカリスマについて

世の中に『天才』が溢れている。
『天才』と『才能がある』は同じ意味なんだろうか?私のイメージでは、才能がある人はたくさんいるけど天才ってのはその中のほんの一握り。簡単には見つからないものなんだよな。

そのまんまの意味で考えると、『天才』とは『天から与えられた生まれも持っての才能』のことで、やっぱりこれはそうそう誰にでも装備されているものではない。『才能』っていうのも元々生まれた時からその人に備わっているものだけど、努力することによってそれは開花する。

同じ、『生まれながらにして備わっているもの』でも『才能のある人』はその才能を開花させるのにある程度の努力が必要で、『天才』はその努力を必要としないのではないか。

野球で例えると王さんと長嶋さん。
巨人の一時代の象徴で、多くの野球少年の憧れだったこのお二人。

王さんは言わずと知れた世界のホームラン王で、通算868本というとんでもない成績を残した世界中でその名が知られている名選手だ。
対する長嶋さんは目立った成績こそ残していないが、その魅せるプレーの華麗さと人を惹き付ける言動で今なお伝説となっている。

同じ球史に残る名選手だが『天才』と呼ばれるのはどちらだろうか。


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これは王さんと長嶋さんの生涯成績の表だ。
ご覧の様に通算成績で言えば断然王さんの方が優秀なのがわかる。長嶋さんは歴代トップの成績は残していない。それでもやっぱり、『天才』と言えば長嶋さんのイメージが強い。もちろん王さんも天才であることには間違いはないのだが、王さんの場合は『たゆまぬ努力の上に成り立つ天才』なのだ。

王さんは入団当初は打席に立てば三振ばかりで苦悩の日々を過ごした。そして正に血の滲むような努力によってあの『一本足打法』を身に付け世界のホームラン王となった。元々持っていた才能のレベルが人並外れた『天才レベル』だったのだろうが、それを開花させるために努力に努力を重ねた、『努力の上に成り立つ天才』なのだ。

長嶋さんの場合はもちろん練習を怠ったりはしなかっただろうが、いつも観客が喜ぶ華麗なフィールディングを心掛けていたそうだ。長嶋さんが守備に付くと単なるサードゴロでも観客が大いに盛り上がる。長嶋さんには天性の人を惹き付ける魅力があって、それが自然にできるのは正に天から与えられた才能『天才』なのではないだろうか。

長嶋さんの他に『天才』と言えば落合博満さんだ。
彼は練習が大キライでほとんど真面目に練習をしなかった。それでも史上初の三度の三冠王に輝き、ホームランを打ちまくり、数々のビッグマウスを『オレ流野球』で実現してきた真の天才である。

一方王さんの『努力からなる天才』を挙げるとパッと思い付くのがイチローだ。彼もまた天性の野球センスを努力によって開花させ、名実ともに天才と呼ばれるようになった。



あれ?なんの話だっけ?野球のすごい人伝説の話だっけ?………………あ、違うわ。天才の話でした。


私の言う『天才』の定義がなんとなくわかっていただけただろうか?つまり、一芸に秀でた人誰もが『天才』なのかと言えばそうではなくて、そのほとんどは『努力によって才能を開花させた人』であって、『天から与えられた才能を自然に使える人』という、真の天才にはなかなか出会えないのではないか。と思うわけだ。


今まではスポーツという目に見えて成果がわかる分野の『天才』の話だったが、これが芸術の分野になるとまた話はややこしくなる。何故なら芸術と言うのはしっかりとした正解がないからだ。

超有名な画家が書いた抽象画と、動物園の天才象のハナちゃん画伯(仮名)が鼻で筆持って書きなぐった絵と、2枚を並べて見せられても私ならどっちが億の作品かさっぱりわからないかもしれない。芸術に関しては受け取る側にもそれなりの『鑑賞し、感じ取る才能』ってのがないとその価値を正しく評価することはできないのだ。そう、これはセンスの問題なのだ。

近年やたらとカリスマ○○という言葉を目にする。
いや、もう今となってはカリスマが溢れすぎてて気にもならないくらいだ。そもそも『カリスマ』ってなんなの?ちょっと調べてみた。



【カリスマ】
超人間的、非日常的な資質、能力。
英雄、預言者、教祖などに見られる、民衆をひきつけ心酔させる力。


おいおいおい、カリスマってすごいぞ。シャーマンだよシャーマン。そんなヤツがこんな狭い日本の中に何人もいるわけないだろ。まぁ、世間一般で言うカリスマっていうのは、上記の中では『民衆をひきつけ心酔させる力』っていう部分の事をいうのだろうけど、それにしても軽々しく使いすぎるような気がする。


でも特に何かに秀でているわけでもないのに、何故か引き付けられる魅力を持っている人って確かに存在する。それは凡人の私がいくら努力しても身に付ける事ができない、その人に生まれながらにして備わっている『才能』なのだ。

でも本人は意識してそうしているわけではないので自分のその才能に気付かないことが多い。
その自分の才能に気付いて、それを遺憾なく発揮できる人が『カリスマ』と呼ばれるのではないだろうか。

そう考えると世の中には『カリスマ予備軍』がたくさんいるような気もする。まぁ、マスコミに踊らされてその気になっちゃってる『エセカリスマ』もたくさんいるけどね笑笑


さて、だらだらと書き連ねて参りましたが、私が何故急に天才の話をしだしたのかというと、私が今『この人は正しく天才だ!』と声を大にして訴えたいアーティストがいるからだ。

ヒロトマーシー?いやいやいや、彼らはまたちょー特別な存在なので、天才やらカリスマやらの言葉では片付けられない。彼らはもう存在しているだけで特別なのだ。言葉にするとチンケになっちゃうから言わない!

なんとビックリ、今回のこのお話はそのアーティストさんを語る上での布石だったのだ!
次回かそのまた次かわかりませんが、近いうちにそのお話をしたいと思っているのでお待ちいただきたい。聞きたいか聞きたくないかはあなた次第です。
(やりすぎ都市伝説見たんで💦)



余談だが、私が一時期とてもハマったパソコンの脱出ゲームに『カリスマ』っていうのがあってとてもおもしろかった。

レコーディングスタジオに閉じ込められたシンガーがプロデューサーが納得する歌が歌えるまで出してもらえないというゲーム。アイテムが足りないと歌唱力がひどくて怒られる。全部のアイテムを集められるとプロデューサーから🆗をもらい、そのMVが流れて主人公がカリスマミュージシャンになれる。
その歌がなかなかクセになる歌でまたもう一度聴きたいなぁ。なんて思い出してしまった。


ではでは、まったねー