あ、なんかすみません。ふんころがしです。
別名ほったらかし太郎です。あ、一応女だからほったらかし太郎子です。あ、太郎がいらないのか。もういいや。
あのね、本編ほったらかしてなんで番外編なんか書いてんの?って感じなんですけどね、実は、実は、こないだの土曜日、米津さんのライブに行って来たんですよーーー!!!幕張メッセのライブ!
先行全部落ちちゃって、定価トレードチェックしてもなくて、もう諦めてたんですけどね、『同行者募集します』って言う方がいまして、ご一緒させていただけたんです。前日の事です。いやー、諦めちゃだめですねー。
詳しいことはライブ日記に書こうと思ってます。
でね、そのライブのMCの中で米津さんがこんなこと言ったんです。
「初期の頃から知ってくれてる人もこの中にいっぱいいると思うんだけど、最近の俺の規模感の変化、音楽性の変化に戸惑いを覚えている人もいるだろうなと感じています。変わっちまったな、遠くに行ってしまったとか投げかけられる度に悲しくなったりする。そんなこと言うなよとか思ったりする。」
「一人の音楽家として変化をしていくことが美しいことだと思う。同じことをやっていてもしょうがない。より遠くに行くのが信念のようになっている。」
「自分は遠くへ行く、変わっていくということが一番美しいことだと思っていて、それが自分のためだし、まわりまわって聴いてくれる人達のためにもなりうると思っている。これからも自分は変化し続ける。その先で生まれた美しい音楽を引っさげてまたこういうステキな空間をみんなと一緒に作っていけたらいいなと思います。」
後半少しはしょってますげどこんな風に言ったんですよ。
確かにね、米津さんの古くからの、なんならボカロ時代、ニコ動時代からのファンの方達にとったら、今の米津さんの音楽性だったり扱われ方って不思議というか驚きかもしれません。無精髭を生やして、下向いて、ボソボソと話す米津さんの姿は今どこにもありませんから。中にはつまらなくなったと思う人もいるかもしれません。
でもね、このブログでも紹介しましたが、米津さんて子供の頃から自分が人と違う異次元の存在のように感じていたからずっと『普通』に憧れていていたんですよね。それで最悪だった状態から、自分自身を変えようと努力して、たくさんの仲間と出会って、学生時代に苦手だった『人と何かを作り上げる』という喜びを知って、そういった経験を経て、それで今の米津さんがあるわけで、その時期毎の楽曲に変化がないわけがないんですよ。
まぁ言っても私もね、あのクセのあるメロディにハマりこんだ一人ですから、米津さんがFlowerwallのMVを公開するって言った時、スネ夫と二人でパソコンの前で待ち構えて張り切って見たんですがその最初の感想は二人とも「………うーーーん、普通…かな?」でした(笑)
ただ今までMVの中でもほとんど見えなかった顔が(リビングデッドユースでは遠かったしポッピンアパシーでは横顔と下向きだったんで。)Flowerwallで初めて正面から見られて興奮したんですけどね笑笑
その後リリースした『フローライト』もそれまでの様な不協和音を聴かせるクセのある感じはなりを潜めていたし、アルバム『Bremen』もそれまでの複雑に音を組み合わせて作られた曲調とは変わってバンド志向のシンプルな楽曲になっていて、『あー、やっぱりちょっと変わっちゃったのかぁ』なんて思ったりもしました。なんかキレイになったって感じ。
それでもね、変わっちゃってつまんなくなったとか、もういっかなーとは思わなくてやっぱりそこには米津さんらしさがたくさん入っていてますますハマっていったんです。具体的にどこが?ってとこは長くなるので別の機会にお話します。
この頃にはもうだいぶメディアにも取り上げられる様になっていて、アニメの主題歌やCM、企画のタイアップなど、米津さんの名前はテレビでも聞かれるようになってきて、5枚目のシングル、『LOSER/ナンバーナイン』ではダンスまで披露しちゃって、もう止まんねぇなって(笑)人気が出るにつれ、初めて聴いた人にはただの流行り唄に聞こえちゃうなって、そうじゃないのにって勝手に悔しくなったり寂しくなったりしてました。
そしたらですよ!発売されたLOSER/ナンバーナインのカップリングに、先日のライブでも披露されました『amen』という歌が入ってたんです!それでこの曲調も詩の内容もくらーい、夜の外人墓地の様なイメージのamenを聴いて私すごく嬉しくなったんです。dioramaの頃のような当時の自分の気待ちそのまんまが出てる暗~い歌(それはそれで好き)ではなく、一篇の詩の様な幻想的な語り口調の歌詞と、暗いけど流れるような美しい音楽に久しぶりに米津さんの闇の部分が見えて嬉しかったんですよ。闇が見えて嬉しいって失礼かもしれないですけどね。でもそういう部分が大好きなんで(笑)
それで気付いたんです。米津さんは変わっちゃったのではなくて進化してるんだって。それが証拠にどんなに曲調が変わっても、出す曲、出す曲、どんどんいい!が更新していくんですよ。モロにJ-popな歌を立て続けに出していても、その根底にちゃんと米津玄師がいるって感じで。上手く言えないけど。
映画やドラマやアニメの主題歌って初めからテーマが決められていて、全くの自由に作れないんじゃないかと想像するんですけど、それを見事にクリアして、あえて『万人受け』する曲を作れる。しかもちゃんと米津さんぽさも残っていてかっこいい。
それでその『万人受け』する曲のカップリングに『amen』や『翡翠の狼』や『ララバイさよなら』などの濃いい歌を揃って持って来るとか、もうね、なんか安心しました。安心したってのもおかしな話ですけどね(笑)
いやね、何が言いたいのかと言うとつまりは、米津さんはまるっきり音楽性が変わったのではなくて、音楽に対しての根底の部分は変わらないまま進化し続けているんだってことです。よくある、『売れたからって調子に乗って売れ線ばかり作り出したバンド』みたいな凡人思考は全くないってことです。
どんなに規模が大きくなっても変わらず、自分が信じる美しい音楽を求めて進化し続けてるんだなぁ。って、米津さんの言葉そのまんまですけどね(笑)
その証拠と言ってはなんですが、先日発売されたばかりの新曲『Flamingo』は最近のJ-popづいた万人受けする曲とはガラッと変わって、久しぶりに自由に楽しんで作った曲という感じがして最初聴いた時笑ってしまいました。これだよ!これこそ米津玄師だ!って感じ。Lemonにハマったって方達は面食らったでしょうね。でもこれが、この奇妙でクセが凄いけどなんだか耳について離れない、中毒性のある音楽こそが米津玄師なんですよ。と、偉そうに言っちゃったけど、やっぱりこの人すげーやってこの新曲を聴いて本当に嬉しかったんです。
今日、さっき更新された米津さんのTwitterで紹介していた新曲を受けてのラジオの音源を聴きましたが、そこで、
「ここしばらくは自分が小さい頃から聴いてきて慣れ親しんだJ-popってものを突き詰めたくて作り続けて来たけど『Lemon』でとりあえず一区切り着いた。だから今度は自分の恥ずかしい部分をさらけだすつもりで『Flamingo』を作りました」というような事を言ってました。ゲラゲラ笑いながらあの歌を作ったそうですよ。爆発的なヒットを飛ばしたすぐあとの新曲で、普通ならプレッシャーを感じるはずなのにガラッと曲調を変えてやりたい事をやってくるとか、もうそれだけで彼がどれだけ非凡な人間かという事がわかりますよね。
同じラジオで最後に言ってました。
「昔の米津玄師、昔のハチみたいなもの、そこに帰ってきてくださいって思ってる人達もいっぱいいるかもしれないですけど、でもそれはもう帰れないですよ。帰れない。それはもう時代のものであるから。好きだった、その時代のものがあるだけでいざ自分が、100パー無理なんだけれど仮に自分が昔のハチの頃やったものを100%の純度でやったとしてもそれは当時のハチではないんですよ。それはもう刹那的なものであるから、だからそうやって昔の事を懐かしんだりもするんですけどね。その時のように生きられたらまた幸せだろうなとも思うんですけど、でもどう足掻いても時間は前に進んでいくもので、その加速した流れに従ってあたふたしながら自分を作り替えていかなければならない、作り替えていくことでしか自分を保てない、それによってしか表現できない美しさというものがある。これから先もぐちゃぐちゃしながら傷つきながら生きていくのが美しんだろうなぁって思いますよね。」
昔から、そしてこれからもずっと、美しいものを求めて変化し続けていくのが非凡な才を持って生まれた米津玄師って人なんだろうななんて思います。
彼がどんな変化を続けていくのか楽しみに応援し続けたいなと思っています。
ダラダラと長々と駄文失礼しました。なんかもう私が彼を天才だと思う理由がここに全て書かれてしまった感があって、『番外編』じゃなくて『完結編』なんじゃね?って思ったりもしますが、あともう少しだけ語らせてください。