今日は仕事で某公営ギャンブル場の送迎をしました。午後駅から乗ってきたあるおじさんが料金を払いながら
「今日はね、当たる自信あるんだよ。運転士さんが女の人だからね」
と言いました。そして
「当たったらご祝儀持ってくるからねー」
と言うので
「楽しみに待ってます」
と答えました。
おじさんは一度席についてからまた運転席までやって来て
「私はね人に物をあげるのが大好きでね、いつもこういうのを持ち歩いてるんだよ。」
と言いました。見ると手にピン留めを持っています。
「賭け事の前にね、人に施しを与えると不思議と当たるんだよ。よかったらこれ、どれかあげるから。いらなかったら他の人にあげてもいいからさ、どれがいい?」
と言われたので1つ選んでありがたくいただきました。でもおじさん、相手が欲してない施しでもそれは有効なのですか?
続けておじさんは、
「私は今85歳なんだけどね、こうやって人に物をあげてありがとうございますと言われるのが嬉しいんだよ。物がない時はキャラメルでもね、こないだ親子にあげたら二人ともありがとうございますって、こんな小さなキャラメル2つでお礼を言われてね、」
と、なぜかドヤ顔で言いながら
「で、会う人に1つずつ為になる話をしてるんだけど聞きたいかい?」
と、今度は有り難いお話の押し売りを仕掛けてきましたのでとりあえず、
「はい、ぜひ(いえ、全然聞きたくありません。)」
と答えておきました。おじさんが話してくれた有り難い話は次の通りです。
「あなた、神社には行ったことあるかい?」
「はい。あります。」
「え?ほんとにあるの?」
「ありますよ。(いや、そりゃあるだろ)」
「ならね、お賽銭箱あるよね、あそこの前に何があるかわかるかい?」
「いやー、ちょっとわかんないです。」
「かがみがあるんだよ。知らなかったでしょ?」
「いや、知りませんでした。(興味ないですし。)」
「なんでかがみが置いてあるか知ってるかい?知らないよね。教えてあげるね。」
「あ、ありがとうございます。何でですか?(ぐいぐいきますね。どーでもいいですけども。)」
「かがみっていう文字から一文字無くすと何になる?」
「あっ!かみ、ですか?」
「そうそう!いやー、あなた頭いいね。すぐわかったね。一文字無くすとかみになるんだよ。」
「あ、なんかありがとうございます。(いや、わかるだろ。)」
「で、何て言う文字を無くした?」
「あ!なるほど。『が』ですね。『我』を無くして『神』になるってことですか。」
「(嬉しそうに)そうそう。だからお詣りの前に我をなくすって事で鏡が置いてあるんだよ。勉強になったろ?」
私はなんだかわかったようなわかんないような、どーでもいいような、そんな感じはしたけれど、そろそろ解放してほしかったので
「はい。勉強になりました。ありがとうございました。あ、このピン留めも。」
とお礼を言って『席にお戻りくださいオーラ』を強めに出しました。おじさんは満足そうに席に戻ってくれました。
私はおじさんの話を頭の中で思い出しながら、
『結局鏡から我を抜いて神になるって言うことが、お賽銭箱の前に鏡を置くこととどのような関係があるのだろうか?おじさんはこの話のどの部分が為になると思ったのだろうか?』
と、また一瞬気になってしまったけれど、すぐに
『ま、いっか。』と頭の中の『割りとどうでもいいお話』の引き出しの中にしまわれました。なので決して私の口から『為になるいい話』として放たれることはないと思います。
結局おじさんより先に帰ってしまったのでおじさんが施し勝ちをしたかはわからず終いです。
ちなみにピン留めは600円のシールが貼られていました。おじさん、ありがとう。