世の中の大抵の事は大したことない

なまけものが書きます

【小説】Scream

「一緒に住まない?」

彼にそう誘われたのは今年の3月。大学生だった彼が社会人になるタイミングでした。

同じ大学のいっこ上のサークルの先輩。よくあるパターンだけど優しくてとっても大事にしてくれる、私にはもったいないくらいの相手です。断る理由なんてありません。

新しい季節を迎えるこの時期、手頃で良質な物件など残っているわけもなく、必死で探したそのアパートは築35年。私鉄の最寄り駅から徒歩15分の新興住宅街に、そこだけ取り残されたようなレトロな雰囲気を醸していました。
それでも端っことはいえ都内だし、駅まで行けば都心へのアクセスも良好で4月から社会人の彼にも負担のかからない物件で私はすぐに気に入りました。まぁ、彼と一緒ならどこでもね。


私がそれに気付いたのは引っ越して二日目の事でした。夜中にふと目が覚めた私はまだ解かれていない荷物と隣に眠る彼の顔をかわりばんこに見つめて、ほんとに始まってしまったこの生活の先に思いを巡らせていました。が、ふと耳を澄ますとなにやら聞こえてきます。どうにも気になった私は布団から出てそっとカーテンのすき間から外を覗いてみました。

狭い町にひしめくように建てられた住宅は手を延ばせばすぐに隣の家に届きそうです。自分の家はアパートなのでさすがにそこまでではないけれど、密集した家のおかげでそれがどこから聞こえてくるのか見当がつきません。

「猫の声?……いや、違う赤ちゃんの泣き声だ」
聞こえてくるのは激しく泣き叫ぶ赤ちゃんの泣き声です。恐らくこの中の一軒に生まれたての赤ん坊がいて夜泣きをしているのでしょう。私は少しほっとして、『お母さんて大変だな』なんて思いながら幸せなベッドに戻りました。

それからも、何回か夜中に目を覚ますと必ずと言っていいほど赤ちゃんの泣き叫ぶ声は聞こえてきました。それが何時に目覚めても聞こえてくるので、『もしかして一晩中泣いているのではないか』と少し心配になりました。それで一度は外に出てその家を探してみたのですが、どの家も窓に灯りは見えずとうとうそれがどこかは分からずじまいでした。

次の日の朝、彼の出勤前の食卓でなんとなくその事を話してみました。

「ねぇ、あのさ、夜中にいつも赤ちゃんの泣き叫ぶ声が聞こえるんだけど気付いた?」
「あー、そう言えばこないだ夜中便所行くとき赤んぼの泣き声聞こえたなぁ。」

よかった。彼にも聞こえてたんだ。って少しほっとしながら、私は最近気付いたことを言ってみました。

「あのね、それがさ、赤ちゃんの泣き声は聞こえるんだけど、お母さんがあやす声とか全然聞こえないんだよね。いつも赤ちゃんだけが泣き叫んでるの。」
「そうなのか?でもまぁ、逆にそれってお母さんがヒステリックになってるわけじゃないってことだから大丈夫じゃね?ほんと、母親って大変だな。」

のんきに言いながらコーヒーを啜る彼を見ながら、なるほど。そういう考え方もあるんだな。となんとなく納得して、その話は終わりました。


ある日のこと。その日、私は珍しく昼間の講義がお休みだったので、一人で溜まった家事を片付けていました。お昼を食べて夕方からのバイトの為にお昼寝でもしておくか、とベッドに横になった時、例のあの赤ん坊の泣き叫ぶ声がまた聞こえてきました。

「えっ?」とベッドから飛び起き外に集中します。
まるで何かに怯えるような、正に火がついたように泣き叫ぶ声に思わずベランダに飛び出し辺りを見渡しました。赤ちゃんの泣き声は聞こえるけど……やっぱりママのあやす声も叫ぶ声も何も聞こえない。私はあかんぼが泣き叫ぶ声に耳を塞ぎながら部屋の隅に縮こまる母親を想像して不安になり、玄関に向かったところでふと、自分に何ができるのか、行ってどうするのかと思い直しドアノブにかけた手を離して部屋に戻りました。そしてそのまま外の泣き声を遮断するように布団に潜り込んだのです。

その日の夜遅く昼間にあったことを彼に話しましたが、やっぱり彼も同じ意見でした。

「うーーん、あかんぼなんて泣くのが仕事だし実際に母親が何かしてるなんて確証はないしな。俺らがどうにかできる問題じゃないよ。」
「そうだよね。気にしすぎだよね。」


それからも度々赤ちゃんの泣き声は聞こえましたが私はなるべく気にしないように努めそのうち自分の就活の忙しさから自然と忘れていきました。


「就職おめでとー!」
「それから、一緒に暮らし始め一周年おめでとー!」

厳しい就職戦線をなんとか乗り切り、ギリギリのところでやっと希望の企業に就職が決まりました。4月から私も社会人です。

「いやー、でもほんとにきつかったよぉ。思ったより苦労しちゃった。」
「これで俺もちょっとラクできるな(笑)まぁ、もし就職できなくても永久就職って手もあったけどな。」
「えっ??ちょっと、私が就職決まったからそういうこと言うんでしょー」
「あれ?バレた?うそうそ。でも一年間あっという間だったな。ま、これからもよろしくな」

奮発して買ったワインで乾杯しようとしたその時、聞き覚えのある声に私は思わず手を止めました。

「ちょっと待って。」
「どうした?」
「うん。また泣いてる。ほら、声聞こえるでしょ?」
「あぁ、お前がずっと気にしてた泣き声か。そう言えば最近は気にならなかったな。」
「うん。私も忙しかったし、夜も疲れてぐっすりだったから。それにしてもほんとにお母さんて仕事もラクじゃないね。いくらかわいい我が子でもあれだけ毎日のように泣かれたらノイローゼになっちゃうかも。あれ?どうしたの?」

私は話しながら彼の顔が急に真顔になった瞬間を見逃しませんでした。なになに?なんなの?

「……あ、あのさ、俺……今思ったんだけど……」
「な、なによ。怖いよどうしたの?」
「あのさ………」
「う、うん………。」




「あの泣き声、いつまでも赤ん坊のまんまじゃね?」






※【小説】群生のルール前編
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※【小説】群生のルール中編
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※【小説】群生のルール後編
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