世の中の大抵の事は大したことない

なまけものが書きます

夢の駅

※今回はクソ暗い話なので気分を落としたくない方は読まない方がいいです。ごめんなさい。


昨日の誕生日に悲しいお別れをしてきました。
お世話になったおじさんが逝ってしまったのです。

10歳で大好きだった父親を亡くした私は、数年後毎晩のようにうちにやって来るようになったおじさんの事を父親だとは到底素直に思えませんでしたが、おじさんは私の事をほんとにかわいがってくれました。

私は高崎弁で、でっかい声でしゃべるおじさんの事がめんどくさくて疎ましく思う事もあったけど、結婚して家を出た私にも会うたびに「おー、元気かやー、うまい卵あるからもってけやー」「おー、野菜があったんべ。○○(私の名前)にやれ。」等といつもたくさんのお土産を渡してくれました。


私に持たせてくれるお土産の中でもおじさんの作る手作り味噌は天下一品でした。
毎年新しい大豆を使ってでっかい樽にたっぷりの味噌を作るのです。それをいつものように「おい、○○。今年も味噌できたから持ってけや」と言って持たせてくれました。おかげで我が家では高いお味噌を買わずとも絶品お味噌汁が食べられました。

数年前からおじさんも歳で味噌作りができなくなり、とうとう我が家の冷蔵庫には最後のお味噌がわずかに残るばかりになりました。
おじさんは病気を患いみるみるうちに歳を取って、痩せて、小さくなっていきました。

もともと岩みたいに頑固でワンマンな人だったから、言葉も上手くしゃべれなくなってからは一代で築き上げた鉄筋屋の会長として事務所にいても、もうみんなにとってただのうるさい年寄りになってしまいました。それでも私が用事があって行くと嬉しそうに呂律の回らない口で話し、なにも持たせるものがないとお小遣いをくれたりしました。

そしてその後入院してから2ヶ月半でおじさんは逝ってしまいました。最後まで世話をしたのは私の母親です。私が原因で別れたあとも会社の事務員としてずっとおじさんのそばで世話係をしていました。

人が死ぬのはイヤだ。人が死ぬのはイヤだ。
私は10歳の時、父親が死ぬのを間近で見て以来自分の身近に関わった人が死んでしまうのが恐ろしいのです。

昨日小さい小さい葬儀場に安置されているおじさんに会ってきました。顔を見るかと聞かれて私は正直見たくなかった。私が知ってるおじさんは体格がよくて、いつも堂々としていて、でっかい声で高崎弁をしゃべるあの頃のおじさんなのです。実際、何も言えないままに見せられたおじさんは私の知ってる人じゃなかった。誰だかわからなかった。それでも自然に涙が出てきた。



発車のベルが鳴り 一つ駅を越えた
通り過ぎるのは 早すぎたのだろう
泣いている人が ホームで手を振った
本当のお別れの アナウンスが流れる

「お待たせしました。次の駅は
幸せばかりの 夢の駅ー」



おじさんに聞きたかった。
「おじさんはしあわせでしたか?」
どうかおじさんの乗った列車の行き先が幸せばかりの夢の駅でありますように。

我が家の冷蔵庫にはあとお味噌汁数回分になった特製手作り味噌が大切に保管されている。