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なまけものが書きます

私が米津玄師を天才だと思う理由 きっかけ編

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*またいつもの一人語りです。長いです。しかも今回だけでは終わりません。ごめんなさい。


このブログでもちょいちょい名前を出してます、今人気急上昇中のアーティスト『米津玄師』さんです。少し前からアニメの主題歌を手がけたりしてじわじわと名前が知られるようになってきてましたが、前期終了したドラマ『アンナチュラル』の主題歌『Lemon』が、ドラマの人気と相まって爆発的なヒットになり、一躍大人気アーティストとなりました。ちなみに『玄師』は『けんし』と読みます。念の為。

私ね、この記事をもう1年も前から書こう書こうとして、なんかあんまり短絡的な感じにしたくなくてどうやって書こうかなんて悩んでるうちに今になっちゃったんですよ。そんなんしてるうちあっという間にどんどん人気者になっちゃって、今書かないと流行りに乗っかっちゃったみたいになるので意を決して書くことにしました。上手く書けるかしら。



さて、私が米津玄師さんの歌と出会ったのは約4年前のある日。スネ夫に「すっごくいいアーティスト見つけたから聴いてみて」と言われてYouTubeで聴いた『アイネクライネ』が最初の歌でした。
『アイネクライネ』はもう言わずと知れた米津さんの代表曲で、JRのCMソングにもなりました。

自分にどこか自信のない女の子の切ない恋心を歌った歌で、米津さんの書いた淡い色使いのキレイなイラストに乗せたMVで初めて聴いたその歌を、初めは「へー。絵がキレイで歌うまいなぁ。」くらいにしか思わなかったのですが、歌詞の『あたしの名前を呼んでくれた』という一言が胸にどーーんと刺さりまして、なんだこの人!すげえ!って一気に好きになりました。

その後『ゴーゴー幽霊船』やら『リビングデッドユース』やら『ドーナツホール』やら、今となっては定番のMVを見まくって、そのなんとも言えないメロディラインと不思議な世界観と歌詞の言葉選びの妙にすっかりハマってしまいました。

米津さんはハチの名前でずっとボカロの歌を作っていて、当時はまだハチ名義の方が有名でした。ボカロに全く興味がなかった私はもちろんハチの名前も作品も知らず、なのでボカロ時代からのファンの方からすればまだまだひよっこという事になります。それでも米津玄師にすっかりハマった私がすぐにアルバムを買いにタワレコに走った時、まだ米津さんのコーナーはなく、アルバムはボカロのハチコーナーにありました。

それから聴きまくりましたねー。まだ米津さん初心者だったので1枚目の『diorama』より2枚目の『YANKEE』の方が聴きやすくて、毎日聴いてました。今でも『YANKEE』は私の中の神アルバムの1枚です。

さて、長くなってしまいましたが、私は彼は本当に天才だと思うわけです。テレビでも紹介される時は『10年に1人の天才』と言われますが、いやいやそんなもんじゃないでしょう。それは私が米津さんの大ファンだからというわけではないですよ。歌を聴き始めた時『この人はすごい。天才だ。近いうちに絶対に売れる。』って確信したんです。後付けっぽいけど(笑)違いますよ笑笑

私の天才の定義についてはこのための布石としてずっと前に書いたブログをご覧下さい↓↓↓↓↓


http://funkorogashi-blue.hatenadiary.com/entry/2017/07/03/183004


米津さんの作品を知る上で、彼の生い立ちなんかが重要になってくるので簡単に説明いたします。
あ、これは雑誌で読んだ情報なのでご存知の方すみません。少しお付き合いください。


米津玄師さんは1991年徳島県徳島市のごく普通の家庭に生まれた。生まれた時から身体が大きく、『歪な形をしていた』と言われたらしく、この事は重要なキーワードになる。
幼稚園の時にあったある出来事を境に、自分がみんなと違う怪獣のようになってしまった感覚に陥り、それは彼が大人になるまで続く。

小学生の頃から周りの人達と馴染めず、他人が話す言葉が理解できない、異国にいるような感覚を覚え、自分で描いた架空のキャラクターの住む世界で暮らしていた。中学生でオリジナル曲を作り始め、高校生の時バンドを組んで活動していたが上手くいかず、専門学校の時に組んだバンドも、『人と一緒にものを作る事ができない』という理由で解散。その後ボーカロイドの世界にのめり込み部屋に閉じこもって一人でひたすら音楽を作りニコニコ動画に投稿するという日々を送っていたが、このまま自分を隠して生活を続けていてはいけないと2012年米津玄師名義でアルバム『diorama』を発表する。

その後は本名の米津玄師の名前で自ら制作したMVをニコ動やYouTubeに公開。それが話題になり2013年『サンタマリア』でメジャーデビュー。いろいろあって今に至る。(笑)

ずっと自分は人と関わることができない、他人が何を言っているか理解できないという状態が続いていたが、20才を過ぎた頃『高機能知的障害』と『うつ病』を併発している事を告げられ全ての合点がいったという。

アルバムはインディーズ時代とボカロを合わせると全部で6枚発売されていますが、順を追って聴いていくとまさに米津さんのその時の状況が現れていてなにか感慨深いものがあります。

メジャーデビューするまで、どの楽曲も全て一人で作っていて、そのクオリティがすごい。どれも初めて体験する音楽で、これがまず天才だと思う理由のひとつです。

その作品について少し細かくお話したいのですが、とてつもなく長くなってしまうので、今回はここで一旦締めさせていただきます。


次回は私が彼がいかに天才かを、大した知識もないままに語ります!古くからの米民(米津さんのファンの方)が読んだらイラつくか?ま、いっか。私個人の感想でございます。

失礼しました!