世の中の大抵の事は大したことない

なまけものが書きます

3個1パックのプリンを20個買う問題

先日書いた算数の問題についてご意見をいただきました。その記事については『算数の問題』のコメント欄にご本人様がリンク先を貼っていらっしゃるのでそちらをご覧ください。


なるほどー。ああいう風に自分の書いた記事を冷静な第三者にサクッと要約して書かれると、つくづく自分はつまんねぇことで怒ってんなとか笑けてきますね。あの記事を読んでこの方は私が次のように思ったと理解されたようです。



『3個1パックになってるものを20個買うことは許されない。何故ならば20個買うには1つのパックからプリンを1個分離させなければならない。しかし、そんな行為を許す店がどこに存在するのだろうか。あり得ない事例を取り上げているこの問題文は不条理と言わざるを得ない。すごいむかつく。』


…………。怒ってますね。私。どうしたんでしょう?私生活で何かあったんでしょうか?なんかごめんなさい。

えっと、まずですね、私、そんなに怒ってないです。あ、怒ってますけど許せないほどじゃないです。それから3個1パックになってるものを20個買うことは許されないのではなく、普通は買えないだろと言ってます。そして別にすごくムカついてはいません。私に関係のないことなので(笑)ただね、納得がいかないというだけです。

日本語って難しいもんで、ほんのちょっとしたニュアンスや言葉尻で微妙に意味合いが変わってしまいます。相手の受け止め方もこちらの意図するものと違ってしまいます。

あのね、私が言いたいこと、それはこの問題が『私にとってわかりづらい。』と言うことはなんです。私ね、テレビでこの問題が紹介された時、恥ずかしながら本気で意味がわからなかったんですよ。


『3個1パックで240円のプリンがあります。プリンを20個買うと全部でいくらになりますか?』


がその時出された問題です。私ソッコーで、『えっ?3個で1パックなのに20個買うってどういうことなの?なんかひっかけようとしてるの?とりあえず7パック買えばいいの?もしかしてパックを20個買うの?』って頭がプチパニックです。

まぁ言ってもこの問題を出された大多数の大人や正に今お勉強中の小学生はなんの疑問も持たずに、もしくは疑問を持ったとしても算数の問題として受け入れてスラスラと解いていくのでしょう。でも私はその問題の出し方に疑問を持ったんです。


ご意見くださった方のブログには問題文は

『3個1パックになったプリンがあり、その代金は240円である。このプリンを20個購入するとした場合、支払いの金額はいくらになるか求よ』

と、ちょっと大人っぽくスパイのミッションみたいなかっこいい書き方になってましたが、上記の質問の仕方ならいいんです。何が違うか?ここです。『20個購入するとした場合』これ。この言い方ならいいんです。私のブログにも、『買う としたら いくらになりますか?』ならまだ納得いくと書いてあります。このニュアンスの違いが私の中では大事なポイントなんです。

私が納得する問題文は次のようになります。


『3個買うと240円のプリンがあります。このプリンを20個買うといくらになりますか?』


わかりますかね?元の文↓↓↓


『3個1パックで240円のプリンがあります。プリンを20個買うといくらになりますか?』

違いますよね?私めんどくさいですか?
よく言われます。


我が家ののび太くんは、私と似たような思考回路の持ち主なので小学生の頃算数の文章題にはとても苦労させられました。問題文を読んで何を聞かれているのかがわからなかったからです。「これ、意味わからない」と質問された問題、正直私が読んでもわからないものがいくつかありました。実際、これよりわかりづらい問題文たくさんありますよ。

この問題を読んで何の疑問も持たずにスラスラと答えられる人が大多数でしょうし、それはすごいなって素直に思うんですけど、私やのび太みたいに細かいところにひっかかっちゃうタイプだとこれがなかなか苦労するんですよ。


でね、『計算はできるけど文章題になるとできない』って子供はそれだけじゃないでしょうが、ここら辺に原因があるんじゃないかと思うんです。でもその思考って悪いことじゃないと思うんですよね。算数向きではないし、苦労するけど(笑)


もしも子供が頓珍漢な質問をしても、先生もお母さんも怒らないで「そうだね。確かに実際には20個ピッタリ買うことはできないけど、今はここで何を聞かれているのかよく考えてごらん。」て、丁寧に説明してあげてほしいなぁ。

と、いうことで、なんかまた主題がズレてしまった感はありますが、私が言いたかったのは算数の問題の日本語わかりづらいってことで、別に『スーパー側の対応』なんてどーでもいいのです。


最後に、私は思い込みが激しいタイプで自分の中の常識に添った思考しかできないところがあるけど、例えば子供が書いた絵に対して、『髪の毛は黒!海は青!雲は白!』と、世間一般の常識や先入観を押し付けたことは一度もありません。型にハマることを否定もしないし肯定もしない。それは本人の自由意思であるからです。

私がガチガチに凝り固まった思考で型にハマったまんま出荷され続けていると感じられたのなら、それもそれぞれの感じ方だから本意ではないけど仕方ないことですね。