世の中の大抵の事は大したことない

なまけものが書きます

だから私はくだらないことしか書きません。

あるブログを読んでとても胸が痛んだ。
世の中には自分を否定して動けない人がいる。
いや、そんなんじゃないのかな。うまく言えない。
私はその人を理解したつもりになりたくない。
でもとにかくただただ胸が痛くなったんだ。


私はよく『いい人』と言われる。
私はよく『優しい人』と言われる。
私はよく『おもしろい人』と言われる。
私はよく人から頼りにされる。


違う違う違う違う違う。
そんなんじゃない。


私はいい人ではありません
私は優しい人ではありません
私はおもしろい人ではありません
私は頼りになる人ではありません

私は最低です。
私は偽善者です。
私はダメ人間です。




私は小学生の時同級生をいじめてました。




私はその頃わがままで自分勝手で威張りん坊のイヤなヤツでした。負けず嫌いで男子と対等にケンカするような。彼女は今でも私を恨んでいるでしょう。
私は最低なヤツですから。

それでももっと最低なのは、私がその事を恥じてはいるものの、それ以外の感情が湧かないということだ。

中学になると今度は私が仲間はずれの標的になった。信じていた人達が一人ずついなくなっていく。
辛かった。
でもそれはただ単に私に順番が回ってきただけのことで大した意味はないんだ。因果応報。

人間の本質は変わらない。
大人になって多少他人を思いやる気持ちを覚えても、いつあの頃のイヤな自分が顔を出すかわからない。


私は他人と関わることがニガテだ。
私は他人に興味がない。
私は他人と関わるときいつも演技をしている。
そして離れて私を見ているもう一人の自分に問いかける。


今の返事はあれでよかった?
私は楽しそうに見えた?
みんなの中でちゃんと振る舞えてた?


いつからか、私は人と対峙するのが怖くなった。
二人きりになると何を話せばいいのかわからない。
話題がない。興味がないから。
興味がある相手にだって、何を話せばいいのかわからない。嫌われたくないから。思うように言葉が出てこない。

「ふんころがしは嫌われ恐怖症だね」と言われたことがある。初めて言われた。違うと思ったし言いたかったけど言えなかった。自分に自信がないから、違うと言えなかったんだ。私はつまらないヤツだ。

自己嫌悪。自己嫌悪。

大人になって、自分について気付いたことがたくさんある。自分は、自分が思うよりずっと卑劣でイヤなヤツなんだ。

人間の本質は変わらない。

私は最近、私が読んだブログの主のように不安を抱えてしんどい想いをしている人がたくさんいるということを知った。

私はこんな人間だけど、そんな人たちの事が気になって仕方ないのだ。なぜだろう。わからない。
こんな陳腐なヤツに、どんな陳腐な言葉を投げられても何の役にも立たないのは知っている。求められてもいないのに余計な手出しをしても、それは自己満足でしかなく相手にとっては迷惑なだけだ。
負け惜しみでなく、ほんとにそう思ってるんだ。

それでも、そんな人達がほんとにほんの少しでも気が紛れるように、思いっきりしょうもない、なんの身にもならないようなくだらない文章が書きたい。

こんな、ふんころがしにも転がされないようなクソみたいなヤツでも、読んでてちょっとでもニヤッとするような、そんなブログを書きたい。

だからこんな暗い話は1回きりでやめにします。
これが、私がブログでくだらないことしか書かない理由です。ごめんなさい。